【はじめて来た方へ】鉄道会社へ転職するなら
鉄道会社は転職市場では人気で転職したい人も多く、本気で転職したいのであれば転職エージェントを使って戦略的に転職活動を進めるのが王道です。人気のリクルートエージェントなどの転職エージェントを使えば大手転職会社の転職情報を随時提供してくれますし転職活動をフルサポートしてくれます。リクルートエージェントを通して鉄道会社への転職を決めた方も多数います。
転職No | case90 |
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名前・性別 | 池田俊英(仮名)・男性 |
転職時の年齢 | 26歳 |
転職前の仕事 | 旅行代理店営業(大阪府) |
転職後の仕事 | 大手鉄道会社車掌(大阪府) |
書類提出 | 7社 |
面接 | 7社 |
転職回数 | 1回目 |
転職活動期間 | 約6か月(働きながらの転職活動) |
卒業大学 | 九州国際大学 法学部 法律学科 |
ポイント | 年収250万円→600万円に!福利厚生・労働環境・教育体制の整った大手鉄道会社へ。 |
就職活動に失敗、ハローワークに通い旅行代理店営業の道へ
-前職に就職された経緯を教えてください。
(池田)リーマンショックの余波が色濃く残る2013年卒の自分は、就職活動に失敗、大学卒業後ハローワークに通って、旅行代理店で正社員登用となりました。
-担当されていたお仕事とは?
(池田)業務内容は主にカウンターにて旅行相談、旅行の受付、航空券、乗船券、バスチケット、鉄道チケットの発売業務と、旅行パンフレットのポスティングや、飛び込みで個人宅や企業に出向いて旅行の営業をしていました。カウンターに座って案内するのは古参社員で、新入社員の自分はひたすらポスティングや飛び込み営業の外回りを担当させられました。ノルマを終えるまでは退勤できず、5キロもあるパンフレットの束を持って、20時までは飛び込み営業をし、その後、深夜まで住宅地のポストに投函し続けました。
-厳しい労働環境でしたね。職場の雰囲気はどうでしたか?
(池田)自分以外の社員は、前任の会社からの引き抜き社員で構成されていました。そこに新卒歓迎との募集があり、入社したものの、かなり絆が深いんだろうなという印象があり、新入社員の自分へはただならぬ排他的な空気がありました。自分を外回りに放り出すと、仲間内だけで室内で悠々自適の業務をゆっくりやり、帰社すると会社は真っ暗で誰もおらず中にも入れませんでした。翌日、タイムカードを見ると勝手に退勤を押されていました。自分は阻害されているような感覚がありました。
-転職を決意した出来事、具体的な理由とは?
(池田)有給休暇は形骸化しており、健康保険もなく、厚生年金にも加入していないので常に不安がつきまといました。未経験者歓迎ということにもかかわらず、研修は実施研修のみであとはひたすら外回りです。1日4時間のサービス残業は当たり前、食事を取る時間もままならない、そのような環境で無理を押して勤務していたところ、体調を崩し、早退し入院することになりました。それを会社に伝えたところ「仮病じゃないの?」と言われ、本当につらかったです。また、旅行代理店は正月が終わると2月まで閑散期なのですが、その閑散期に個人売上目標を過去の売上実績から見て、到底達成できない数字に設定され、目標達成できない場合には給与減額のペナルティーを課されると知りました。入社後からパワハラに耐えらず、ずっと転職活動をしていましたが、本格的に動いたのはこの一件がきっかけです。
-前職にはどのくらい勤務し、何歳の時に転職しましたか?
(池田)勤務していたのは6ヶ月で、転職したのも同時期、初めての転職です。
マイナビエージェント、ハローワークを使い働きながら転職活動!
-転職活動はどのように行いましたか?転職エージェントは利用しましたか?
(池田)転職エージェントはマイナビエージェントを利用しましたが、サービス残業で疲弊していた自分はエントリーを入力する時間も惜しく、説明会に足を運ぶ時間もないため、気になる会社の公式サイトに求人がないか片っ端から巡回しました。マイナビエージェントは担当者との日程調整が難しく、自分も簡単に休みを取れる状況ではないため、徐々にその形になりました。また、月4日の数少ない休みの日にはハローワークに通いました。自分から能動的に動かなければならず効率は非常に悪かったですが、1日でも早く仕事を辞め、1日でも早く次の仕事に就きたかったので、タイムラグが発生する転職エージェントよりも、直接募集している会社への転職活動を行いました。現在勤めている会社も公式サイトに中途採用の求人を載せており、そこから応募しました。
-書類選考や面接ではどのように自己アピールしましたか?
(池田)見つけた新しい職場は陸運業の中でも大手の鉄道会社です。お客様の席を確保し、チケットを販売するという意味では旅行代理店とさほどかけ離れていないだろうと考え、前職である旅行代理店で培った地理の知識やチケット販売の知識、営業スキルをアピールしました。
面接では、何故辞めたのか、何故うちの会社に応募したのか、今後うちの会社でどう働いていきたいかを尋ねられました。辞めた理由については、素直に前職の待遇の悪さを伝えました。地理に関する仕事は気に入っていたので、同業を探しているうちに陸運業を見つけたということと、前職のノウハウを活かして必ず売上に貢献する、損はさせませんときっぱり言い切りました。前職でひどい目にあったものの、業界に対する情熱は捨てていないことを伝えました。
-転職活動をスタートして内定までどのくらいでしたか?
(池田)6ヶ月で内定が出ました。働きながらの転職活動だったのできつい場面もありました。
-新しい会社を選んだ理由は?重視した点はありますか?
(池田)親元へ帰ることは考えていなかったので、内定後、すぐに働けることを条件にしていました。また、前職がブラックだったので、有給休暇や健保組合加入についてはネットで入念に調査しました。年収は大手鉄道会社とはいえ、入社後すぐは駅係員従事と公式サイトに記載されていたのでそこまでこだわりませんでした。ただ、生涯年収で考え、昇給制度はどのようになっているかも調べました。また、大手鉄道会社を選択したのは、国土交通省から厳しい審査が課せられているため、教育制度が構築されていたからです。国土交通省の公式サイトを見て、新しい会社ではどのような教育制度になっているか把握しました。国からの監視の目があれば口頭で教えられて実地に放り出すようなことはできないだろうと考えたのです。
-転職活動中、辛かったこととは?
(池田)一次選考を通ると、二次選考があり、筆記試験でした。転職活動は周りに打ち明けていなかったので、勉強する暇がなかなかなく、寝る暇も惜しんでやりました。また、試験日や三次選考の面接日は休まなければならず、仮病を使いました。すると、だんだん周りの目が厳しさを増していくのです。とてもいられない空気になってきて、本当に受かるしかないなと感じました。
鉄道会社に入社し、車掌の道を選択!やりがいのある日々・・・
-転職先は鉄道会社という事ですが、どのようなお仕事を担当されていますか?
(池田)入社したての頃は駅係員です。切符を販売したり、ホームで案内をしたり、接客を経験します。3年後、駅係長コースか運転業務コースに割り振られます。運転士適性審査に合格した者は運転業務コースになり、私はこちらを選択しました。今は電車の車掌です。車掌は電車を運転するのではなく、ドアの開け閉めや、予期せぬ事故の際、ブレーキをかけたりします。車掌を1年から2年経験した後、運転士になり、更に上へ行く人は新幹線の運転士を目指したり、電車区と呼ばれる運転士の管轄をまとめる管理職になります。自分はできたらずっと電車に乗っていたいですね。1日に大阪府から和歌山の海沿いを走るので、大変気持ちいいです。人身事故など、気の滅入るトラブルもありますが、命を運ぶやりがいのある仕事だと感じています。
-新しい職場を前職と比べてどうですか?年収面では?
(池田)健保組合に加入しているので、手術や病気の際、4日以上休むと傷病手当金が出ます。前職だと病気をすると生活の心配はもちろん針のむしろのようでしたが、今の職場では安心して休むことができますね。サービス残業ももちろんありません。年収は前職で250万だったのが600万になりました。悪かった点は、社員のモラルの低下でしょうか。会社の従業員数が3万人もいるので様々な社員がいます。小さな会社のように人間をまとめようにも限界があるのではないかと思います。また、大企業というだけで世間から批判を受けることもあり、どこに勤めているか尋ねられても、あまり社名を言わなくなりました。
これから転職をしようと考えている方に向けてアドバイスをお願いします!
(池田)転職エージェント、ハローワーク、公式サイトの巡回、どの転職活動が正解とは一概に言えません。転職活動が半年を過ぎてくると、同僚の目や家族から向けられる目が厳しくなり、自分でも「せっかく正社員にありつけたんだしこのままでもいいか」と考えるようになります。でも、そこで楽なほうに流されてはいけません。「このままでもいいか」と思っている時間はたくさんのチャンスを逃す時間です。考えてみてください。10年後、今の会社は存在しているでしょうか?今、楽をして困るのは10年後の自分です。「このままでもいいか」と思っている最中も、どこかで常にアンテナを張り巡らせて、すぐにアクションを取れるようにしておくことが転職成功の鍵となります。