
転職No | case80 |
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名前・性別 | 牧村伸一・男性 |
転職時の年齢 | 29歳 |
転職時期 | 2016年11月 |
転職前の仕事 | 工場内常勤工事会社の施行管理(愛知県) |
転職後の仕事 | 大手広告会社の営業(愛知県) |
書類提出 | 30社 |
面接 | 5社 |
転職回数 | 1回目 |
転職活動期間 | 3か月(退職後の転職活動) |
卒業大学 | 中部大学 人文学部 日本語日本文化学科 |
ポイント | 転職サイトを利用し、30社書類提出、面接5社! |
知人の紹介により、工場内工事施行管理の職に
-前職にはどういった経緯で就職されたのですか?
(山中)就職氷河期で、どこの面接も学校名だけで門前払いされていたところを知人の紹介により就職しました。当初は工事監督ではなく工場内でのフォークリフト業務を希望していましたが、若い手が欲しいという事で監督業務に配属されました。会社自体は工場内の工事管理業務全般を請け負う会社で、自分の仕事はその工事施工管理でした。見積から施工計画、実際の工事手配、職人の管理など。工事に関係するあらゆる業務を行っていました。また、時折外部発注業務を請け負うこともあり、他地域の工場や全く別の工事業務にも携わりました。私も年に一回程度の割合で岐阜工場に出張し、通常業務とは異なる工事施工管理をしていました。
-前職の職場の雰囲気は?職場に対して不満はありましたか?
(山中)業務内容はすべて元請会社の指示に従い、残業も制限無く課せられていました。また、小さな会社だったので社長一族のワンマンぶりが激しく、社員はおろか下請けの職人にも不満がかなり充満していました。気に入った者とは仲良くし、気に入らないモノには自分が請け負いたくない面倒な仕事を押し付けるような状態で、その結果休日を削られたり、残業代や賞与をあからさまにカットされ、退職を決意するきっかけとなりました。自分で考えろと言いながら、ほぼすべての仕事が決められたスタイルにハマっていることも転職を決意した要因の一つでした。
-転職を決意した具体的な理由とは?
(山中)上司の指示が不適格で、失敗や不出来の原因をすべて私のせいになっていました。。その結果、上司との折り合いがつかなくなり、仕事の量に反比例して給与が減り始めました。最終的に、私の賞与が中途採用の方よりも少ない金額に落ちてしまったことを知り、一度取締役と相談の場を設けてもらいました。しかし社長一族によるワンマン経営の会社だったため、取締役も話を聞くくらいしか出来ず、結果は何も変わりませんでした。そこに追い打ちをかけるように、やりかけの仕事を中途半端な部分から手伝うよう指示され、責任を丸投げされました。何も知らない職人たちからは、私の不備だと認識され失敗を追及されました。提出するべき見積書や計画書も、中途半端な段階からすべてチェックと提出を言い渡され工事計画自体が破たんしてしまいました。責任や業務の中核を下の者に丸投げするような会社には先はないと思い、転職を決意しました。
-前職へ勤務した期間と、転職した際の年齢を教えてください。
(山中)前職には合計で約3年ほど勤務しました。転職を決意し退職したのが3年目を迎える直前くらいの時期で、転職はその後3か月程で成功しました。転職は今回が初めてです。
転職サイトに多数登録し、転職活動開始!
-転職活動はどうやって行いましたか?
(山中)とにかく転職サイトに多数登録をして、探し続けました。ハローワークでは条件の悪い仕事、あるいは前職と同じ内容の仕事ばかりを紹介されました。前職からは遠い仕事を希望していたので、リクナビ、マイナビなどを中心に仕事を探しました。転職サイトの良かった点はやはり登録企業数が多く、また履歴書を書くよりもずっと早くエントリーを済ませられるという点です。悪かった点としては、プロフィール欄に前職を書き込むと、前職と異なる職種で探していても、どうしても同種の会社からの採用情報が届くところです。最終的には、プロフィール画面から前職の情報を消して探し直しました。転職エージェントに関しては、知人から聞いて知ってはいましたが利用するまでには至りませんでした。
-書類選考や面接ではどんなことをアピールし、どんなことを聞かれましたか?
(山中)前職でどういった営業をしていたかを聞かれました。転職先の会社では広告営業を募集していたので、個人や店舗に対する営業に不安は無いかと問われました。前職では元請の仕事をほぼそのまま指示通り請け負う、形の決まった営業スタイルでした。しかしその中でも、独自に施工の手順を考えたり、時には自分から仕事を提案しにいっていたことを強く推しました。また、転職先の会社は賞与制度と退職金が無く、インセンティブ制度でした。そのため、場合によっては給与が下がるかも知れないが、覚悟はあるかと問われました。しかし、その時は逆にそれがチャンスだと思い、また社長の機嫌一つで賞与が減らされるよりは幾分もマシだろうと思ったためその条件で快諾しました。
-転職活をスタートさせて内定までどのくらいかかりましたか?
(山中)私は前職を退職後、転職活動のみに専念していました。親族の経営する工場などに助っ人としていくことはありましたが、それ以外はすべて転職活動をしていました。およそ半年で新しい仕事を見つけることができました。
-新しい企業に決めた理由とは何ですか?
(山中)前職が決められた仕事をローテーションのようにこなし、自分の考えをまったく排除されるような仕事でした。そのため、自由な発想とアイデアで仕事を自分で回していける職種を希望していました。転職先は広告会社ではありますが、そのクライアントはすべて自分で見つけなくてはなりませんでした。もちろん、ずっと付き合いのある顧客も多くありましたが、絶えず新しいクライアントが求められていました。そのため、転職活動時からずっと自分の意見やアイデアを採用してくれる会社を探していた私には、とても魅力的に感じられました。また勤務地も名古屋駅のすぐ近くで、通勤にも問題が少ない点で好感を得ました。前職のように、会社を経由しないと何もできないスタイルとは異なり、仕事の内容によっては直帰も認められていました。
-転職活動中、一番辛かったことは?
(山中)一切お金が入って来ないので、面接に出向く事自体がマイナスに感じられました。そのため、最初は自家用車で通える範囲内でばかりに面接に伺っていました。しかし、そのために転職候補がかなり狭まり、良い会社をいくつか逃していたと思います。
大手広告会社で自分の発想とアイディアを発揮できる職に
-新しい会社の業務内容と担当されている仕事について教えてください。
(山中)会社全体の業務は、あらゆるサービスの広告マネジメントです。私の業務はその広告を発注してくださるクライアントを探し、契約を取り付け、広告記事を制作、本社に発注することです。しかし、次第に営業担当の業務が増え始め、最終的には営業から発注、広告記事の制作、その後のフォローや売り上げ向上の企画案提出も行っています。本社からフォロー業務を行ってくださる方も多数みえましたが、どうしても早急な対応はできず結果的に自分で作業を行っています。また、外回り業務も多く、時には飛び込みでクライアントを探して回ったりもしています。基本的に飛び込み営業はしない会社ではあったのですが、ノルマクリアの為には多少の飛び込み業務は必要です。
-新しい職場は前職と比べてどうですか?年収面ではどうですか?
(山中)転職したことにより、収入は増え始めました。しかしインセンティブ制度の適応により、場合によっては前職よりもずっと少ない給与しか与えられなかった月もありました。最終的な年収としては、前職よりも40万円ほど少なくなっていたと思います。良かった点は、前職とは異なり急な呼び出しは無く、土日祝日のお休みはすべて適用されていました。その代わり、どんな時でもクライアントからの電話だけは欠かせません。仮に休みの日にクライアントから電話があり、それによって一日がつぶれてしまったとしても、休日手当などはまったく出ません。後日業務に携わっていたことを報告しても、仕方ないの一言でした。また、チームでの仕事でありながら、成績は個人のものを重視されました。そのため、チーム評価からも、個人評価からも厳しい指摘を毎日言い渡されています。
これから転職をしようと考えている方に向けてアドバイスをお願いします!
(山中)自分がその仕事を一生続けていくという、それをまず念頭に置いて仕事を探してください。私の最大の失敗は、職種に関する前情報を十分に調べておかなかったことにあります。業務内容、給与、勤務地など、あらゆる点で自分の将来を重ねて考え、最後まで選び続けてください。転職をするという事は、見方によっては悪く考えられてしまうこともあります。一度身を預けた会社から抜け出すという事は、新しい道を選ぶ素晴らしい事でありながら、見方によっては裏切りとも思われてしまいます。そこでずっと生き続けられるよう、最後まで妥協をしないで仕事を探してください。給与面に関しては、ある程度の会社との相談も出来ます。転職採用を断られたらいけないと引き下がらず、気になる点はどんどん聴いてみてください。