業界での経験を活かすことが期待される50代
ゲームに限らずどのような業種でもそうですが、50代での転職はその業界での経験を活かした仕事を期待されることがほとんどです。
通常、ゲームプランナーは30代おそくとも40代で地位や評価が確立されるため、50代で「ゲームプランナーとしての転職」をすることはまずありません。その代わり、ゲームプランナーという仕事で培った経験・知識・人脈を活かした仕事へ転身することがほとんどです。
■中小企業への転進
例えば、中小ゲーム会社の場合、大手ゲーム会社とのパイプを強くするため転職者を受け入れるケースもあります。
こういったケースは地方のゲーム会社に多いのが特徴で、50代になり故郷にUターンしたいと考えているプランナー等を受け入れるケースが目立ちます。そこでは、前職での経験・キャリアを元にして開発力を高めたり、元勤務していた大手企業から仕事を請け負う仲立ちになったりといった具合の役割を果たします。
また、大手の企業が中小企業を買収し、そこに役員として派遣されるケースもあります。
■教育分野へのチャレンジ
ゲーム業界はそもそも、慢性的に人材が不足しています。50代くらいになるとその現状に危機感を感じ、進んでゲームクリエイターの教育分野に進出するプランナーも出てきます。
有名ゲームプランナーになると、様々な学校からオファーがあり、特認教授や非常勤講師になる話が舞い込んできますが、そういうケースは例外的です。通常、大学や専門学校での空きのポストは必ずしも多くは無いため、多くは業界のコネで学校に転職をするケースが普通です。
ところが近年、科学技術新興機構によって、大学や研究機関での募集情報を誰でも検索できるポータルサイト『JREC-IN』が立ち上げられ、誰でも用意に大学・専門学校でのポストを探すことが可能になりました。
このサイトでは、通常、大学や研究機関での教授・準教授や研究員等の募集情報が出ているのですが、その中には大学のゲーム系の学科やゲーム専門学校の教員の募集もあります。
しかも、通常は大学教員になる場合には、博士号などを求められることが多いのですが、ことゲームという分野に関しては、歴史が浅い上にそもそもは博士号を持っている人間はまずいないため、大学側に業界経験が十分とみなされればいきなり大学教授になることも不可能ではありません。
ただし、求人の数自体は決して多くは無いので、根気良く探し続ける必要があります。
■その他様々な職種への転職
ゲーム業界での経験を活かせる転職は、教員だけではありません。変わったところでは、外国政府の通商代表部の現地職員という仕事もあります。カナダは国を挙げてゲームビジネスに大変熱心であることから、ゲーム大国日本で、業界経験者を通商代表部の職員として採用しています。
通商代表部の現地職員を募集している国は数多くありますが、おそらくゲーム関連の職員まで募集しているのはカナダ政府ぐらいでしょう。仕事内容はカナダのゲーム関連企業と日本のゲーム業界の橋渡しです。
もちろん、その仕事は必ずしもゲーム業界に限ったことではなく、一般的なITや、農産物や木材などの普通の商取引の推進の仕事もあるのですが、カナダ政府はゲームビジネスを特に有望な基幹産業と認めているので、ゲーム業界の経験があれば、スカウトされる可能性もあります。
このように、ゲームプランナーの経験を活かした仕事は意外と沢山あり、ある日突然聞いたことの無いような企業から、自分が考えたことも無いような職種でのヘッドハンティングを受けるとこともありえるのです。
50代ゲームプランナーの転職体験談
①大手ゲーム企業から大学教授へ(50歳・男性・大阪府)
男性(50代)
子供の頃からゲームが好きで、親にねだってそのころまだ高価だったパソコンを買ってもらい、中学生のころには自分でゲームを作ってお金を稼ぐようになっていました。
大学在学中からすでにプロのゲーム作家としてデビューし、その後は大手のゲームメーカーに就職し、「プログラマー」から始まり「ゲームプランナー」、最終的には「ディレクター」や「プロデューサー」も任せられるようになりました。
会社ではそれなりの地位についていましたし、会社の経営も悪く無いので大変結構なことでしたが、このまま終わってしまうのはなんとく寂しいと思っていました。
そんな矢先、ゲームクリエイター育成コースを設けているとある大学からオファーを受け、会社員を続けながら非常勤で講師をすることになりました。最初は何気なく受けた仕事でしたが、教育は思いのほかやりがいのある仕事で、私にぴったりだと感じるようになりました。
そしてついには大学側の要請もあり、会社を退職してその大学で正式に教授になりました。学生相手の仕事は大変なことも多いのですが刺激も多く、楽しい毎日を送っています。
②東京の大手ゲーム会社から地方のゲーム会社役員へ(52歳・男性・北海道)
男性(50代)
長らく東京の大手ゲーム会社でゲームプランナーとして働き、最終的にプロデューサーにまで昇進しました。
仕事は順調でしたし、不満もありませんでしたが、北海道の実家にいる母が認知症になったという知らせを受け、もしも可能であれば地元に帰って母の介護をしながら仕事をする道は無いものかと考えるようになりました。
色々と伝手をたどったところ、札幌の中規模のゲーム開発会社から経験をかわれて役員として迎えられることが決まりました。
小さな会社なので、役員でも何でもしなくてはなりませんが、大手にいたときは接点をなくしていた若手社員たちとの交流は非常に楽しいものですし、なによりも母と目と鼻の先に暮らしながら仕事が出来るということは、非常にありがたいことでした。
また、30年近く会っていなかった地元の友人とも再会し、今では時々酒を酌み交わす関係になりました。介護は決して楽ではありませんが、地元に戻って大変充実した生活を送っています。
本記事は2017/04/14の情報で、内容はゲームプランナーとしての勤務経験を持つ専門ライターが執筆しております。記事の利用は安全性を考慮しご自身で責任を持って行って下さい。