回復期病院から通所リハビリ専門施設へ(31歳・神奈川県)
女性(30代)
私は卒業後に、回復期病院に就職しました。当時は、回復期=リハビリテーションのメインと考えていたので、回復期病院に就職できたことが嬉しく思っていました。
回復期病院の仕事は、通常の日勤帯だけではなく、早番・遅番もあり、土日や祝日も関係なく交代制での勤務でした。内容は、脳血管障害の方が多く、基本動作から日常生活活動練習まで多岐にわたり、少しずつ患者様が回復していく手伝いが出来ることにやりがいを感じていました。
そんな中で、同じ病院に勤務する理学療法士と結婚することになり、結婚後も仕事を続けていました。20代後半で妊娠し、産休を取り出産。育児休暇も取得して同じ病院に戻ったのですが、不規則な勤務なうえ、主人も同じ病院ですので、保育園の送り迎えや子供の急病などで休みを取る際も、迷惑をかけてしまうため転職を考えるようになりました。
現在は、通所リハビリ専門施設でリハビリをしています。勤務体系は、日勤帯のみで土日祝日も定休となっているところであり、先輩ママさんたちもいて保育園の送り迎えや急病などで休みを取らせていただくときも、快く休ませていただけるので、とても感謝しています。
また、主人とも仕事の話をする時、医療保険と介護保険のそれぞれの立場から話をすることも出来、会話の幅も広がったように思います。一時は、自分だけ・・・と考えることもありましたが、転職してみるとまた新たな楽しさを発見できたので、良かったと思います。
専門学校から介護老人保健施設へ(34歳・千葉県)
女性(30代)
私は一般病院に勤務していましたが、恩師の誘いもあり埼玉県にある専門学校で教員をしていました。もともと、若い方のリハビリを行っていたため、学生と接する機会がある学校はとてもやりがいがありました。
しかし、何年も経ってくると担任を持つことになり、学生の臨床実習の指導も行うこともあり、残業が多く発生しました。また、学生の実習中には携帯を持つことになるため、夜間でもお構いなしに電話が掛かってくることもあり、仕事とプライベートの区別がつかなくなり、相当ストレスがたまりました。
3年くらい経過したころ、通勤時間の長さもストレスになり、ついに円形脱毛症となってしまいました。そんなとき、家の近くに新しく老人保健施設が出来ることになり、理学療法士を募集していました。
思い切って旦那に相談。「給料が下がってしまうけれど、近くで就職し、家庭も大事にしたい」と希望を伝えたところ、自分が良いと思うなら良いよと理解をしてくれたため、現在の介護老人保健施設へ転職しました。
給料は少し下がりましたが、それには変えられない「家族との時間」を持つことが出来るようになり、ストレスも軽減し円形脱毛症も治りました。
くだらないことかもしれないけれど、プライベートの充実が良い仕事にも繋がるのだと本当に思います。やりがいは、自分次第でいくらでも作れることが分かりました。転職して良かったと本当に思います。
一般の病院から一般企業へ(35歳・東京都)
男性(30代)
卒業後、一般病院に就職しました。管理職に近いポジションになったのですが、同時に多くの関係者と接する機会も増え、その時にある医療機器の開発と普及をしている企業関係者と会いました。
尿失禁を予防する機器だったのですが、失禁するからオムツを使用するのではなく、根本から改善させていくようにする考えに目からウロコが落ちる思いでした。
自分のおごりや凝り固まった考えに渇を入れられた気がして、気が付けばその企業関係者に、理学療法士の存在も必要ではとアピールをし、トントン拍子で就職が決まりました。
全くの初めてなので最初は戸惑ったのですが、妻も作業療法士で自分の仕事に理解をしてくれているので、相談しながらも日々進んでいくことが出来ることに感謝しています。
本記事は2017/02/24の情報で、内容は理学療法士としての勤務経験を持つ専門ライターが執筆しております。記事の利用は安全性を考慮しご自身で責任を持って行って下さい。