私はある地方の急性期病院で勤務をしている30代の内科医です。
6年前に結婚し、現在は2人の子供に恵まれ、家族4人で暮らしています。
勤務先は救急車を止めどなく受けているいわゆる救急病院で、地域医療の砦的な存在の施設です。世間一般からみれば花形で誇りをもって働けるし実際にそう思って働いている医師も多いと思います。
問題は勤務がきついこと。もともとマンパワーが極端に不足している科に所属しているため、自分の代わりがいないのも勤務がきつい一つの理由です。もちろん医者になり立てのころは仕事が自分の日常生活の大半を占めており、重症患者様を受け持った場合には数日自宅に帰れないことや夜中に病状急変で何度も呼び出されること、呼び出されないにしてもオンコール待機状態で自宅で夜間や休日に長時間拘束されているときも多くありました。しかしそれが自分の中で大きな問題となったわけでもなく、医者とはかくある物だと自負していた部分もあったため何とか勤務を続けていられました。
変わったのは子供ができてからです。自分としては積極的に育児にかかわっていきたいと思っていたので子供と過ごすためにできる限り早く帰宅し、休日も家族で一緒に過ごすことが自分の生活において重要な部分になりました。
しかし実際は自分がそうしたいと思っても、仕事量やその内容が変わるわけではありません。早く自宅に帰ればまた呼び出され、休日もオンコール待機のため家族で出かけられず自宅で拘束、夜中の職場からの呼び出しと子供の夜泣きが重なりほとんど寝られないなどということが続いています。いつ呼び出しの電話が鳴るかもわからず妻も食事をそわそわしながら準備していたり、自分も終わることのない呼び出し連絡のストレスで滅入ってしまっています。
このような事情で転職を考えた先生などおられましたらご意見をお伺いしたいです。
よろしくお願いいたします。
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回答
2件の回答
都市部の病院に勤務する50代の外科医です。ご質問拝見いたしました。
ご自身が一番に信じた選択をされれば良いのではないでしょうか。
私の若いころは医局の力が非常に強い時代でした。大学で研修医(インターン)が終わったら関連病院である程度症例を経験します。その後は大学院へ入学、アルバイトで生計を立てながら研究論文を書き、卒業後はまた関連病院へ勤務、そのくらいからある程度のポストが与えられ、自己剱山を積みながら後進の指導に励む。そんな決められたレールの上を何一つ疑問に感じることなく過ごしてきました。
もちろんこれが悪いということではなく今の自分の技術や立場があるのもこうして努力してきたからだと考えています。
しかしあくまでもこれは「医師として」です。これが「ひとりの人生として」となるとベストだったか、よくわからなくなることがあります。
幸い私にも家庭ができ、子供にも恵まれ、いちおう家庭を持つ父親です。しかしこの20年を振り返ってみると、十分に家族のために関わってやれたのかどうかは疑問が残りますね。子供が小さな頃に一緒に遊んでいる途中で呼び出され、泣きながら私の脚にしがみつく娘を振り切るようにして家を飛び出していったり、何か月も前から計画していた家族旅行も患者の病状急変により直前でキャンセルになってしまうこともありました。
こんな感じの状態ですからそのうち妻も私の休日に期待をしなくなり、パパは毎日仕事があるものという感覚が家庭内で定着しました。そして私抜きでの家族プランが作られ始め、家庭内での私の居場所が少なくなっていきました。私も家庭でいにくい感じに耐えかねて、本当に休日で用事もないときでも職場でネットをしているだけのことがよくありました。
あの時もう少し家庭に関われるよう自分が何か決断をしていたらと今更思うことがあります。
どんなに地位や名誉がある方でも人生の最期に孤独なのは虚しいと思います。それを「良かった」と思わせてくれるのは家族だけなのかもしれません。
お読みいただきご参考になれば幸いです。
ある地方の急性期病院をつい最近退職し、慢性期病院へ転職したものです。
先生の現在のお気持ちに非常に共感を持ちましたので回答させて頂きます。
私も同じく内科医をしており、日々途絶えることのない診療と月2回程度の寝られない夜間当直(当直翌日午後は帰宅しても良いことになっていますが現実的にそれができることは少なかったです)、月の半分は夜間オンコール待機をしながら暮らしていました。だからいつ携帯がなってもおかしくない状態でしたので家でもピリピリしていることが多く、それは家族にも伝わっていました。
Duty offであるはずの土日に家族で少しスーパーに出かけても携帯が鳴ればすぐ戻らなければならない現実は、まるで自分や家族が首輪を付けられ自由を失った家畜のように感じられました。携帯で職場との通話が終わった後車で自宅に急いで戻るわけですが、家族を送り届けた後、妻や子供ががっかりしているのを尻目に病院に向かう時の心境は「いったい何のために自分は医者をしているのだろう、今自分の助けを必要としている患者が他の病院へ搬送されれば良かったのに」とさえ思ったことがあります。
「何のために生きているか?」その問いかけが自分の中で始まった時、私は「今のままでは限界だ、自分は家族と一緒に過ごすために生きたい。」という自分自身の気持ちに気付きました。これは今だけの話で今後の人生において子供が大きくなった後などはまた変わるかもしれないのですが、これを今実現しなければ「医師として」というよりは「人生において」自分が後悔するような気がしました。
それからはこの状態を打開しなければならないと真剣に思い、行動に移しました。
まず職場での業務負担の軽減が図れるかどうかを職場の上司、産業医も交えて相談しましたが、相談する方が「そんなこと言われても。。。。」とみんな頭を抱えてしまうばかりでした。確かにただでさえ人手不足の田舎の病院に診療上大きな部分を担う自分の業務を代わりに負担できる余裕はないと思いましたし、病院としてもこちらの事情は理解してくれてはいるものの、本当に早急な解決策が見つからなかったのだと思います。
この様子をみて現状の職場での打開策は難しいと判断し、思い切って以前よりお誘いいただいていた慢性期病院へ転職することを決めました。
私も長らく急性期病院にて日々高度な医療を提供していることに誇りをもっていたため今後の医師としての人生がどうなるか不安でした。キャリアを投げうった点では「清水の舞台から飛び降りる」ような感覚とはこういうことかと思いました。もちろん病院側からは院長直々に強く慰留を求められ交渉も難航しましたが、そこは意志を曲げずに貫き通しました。
「医師は自分の身を削ってでも社会のために奉仕するものである」という概念が我々医者の中にも浸透していると思います。しかし我々も一人の人間、さらに言えば凡人がほとんどであると思います。人として人生の最期に後悔しないために今何をしたいのかを考えると、その価値観はそれぞれのライフステージにおいて違っていていると思いますし、その中に家族のために生きる時期があっても良いのではないでしょうか。
長くなりましたが私の経験とともに回答させていただきました。