実家の寺を継ぐ為臨床心理の道を外れることに。生かせることも多いはずだけど…194view

私は臨床心理士になって4年目、29歳の男です。私の家は江戸時代中期から代々続く寺です。現在は父が住職をしており、兄弟姉妹は姉が2人いますが男は私だけです。

私は現在教育総合センターに入っている適応指導教室で、指導員をしています。市内在籍の小学校から中学校までの不登校のお子さんと一緒に勉強したり遊んだりする他、教育相談の方でもいくつかプレイセラピーのケースを担当させて貰っています。
プレイセラピーをやらせて貰っていると、子どもたちの心の奥の深さを感じさせられます。以前、ある小学生の不登校の男の子と一緒に箱庭を使ったセラピーの中で、男の子と一緒に森の中で宝探しをするという設定で冒険をしたことがあります。森の奥にある薄暗い洞窟の中で宝物の箱を見つけ、開けると宝物がいっぱい入っていました。けれども宝物を持って洞窟を出たら、宝物は全て石になっていました。その時に男の子が言った言葉が印象的で、今も心に焼き付いています。「本当は宝物なのに、明るくていろんなものが見えるところでは石になっちゃった。もしかしたらいつも見ているものの中に、本当の宝物っていっぱいあったりして」。
見た目だけでは大切なもの、良いものはわからないこと、大切なものは心の目で見てこそ宝物とわかるのだということを意識させられて、その場面で私はハッとさせられました。

そのように臨床心理の道で日々充実感を持って過ごしていた私ですが、幼少の頃から父だけでなく祖父母や檀信徒の方々からも「将来はこの寺の住職に」と言われて育ってきました。
父からは20代の頃に20代の間は好きな仕事をして良いが、30歳になったら寺を継いでほしいと言われていました。お寺の場合息子である私が継がないと、両親をはじめ家族はお寺を出て行かなければならず、その一方で私としても臨床心理の道に遣り甲斐を感じていたのでさんざん悩みました。その結果、「実家がなくなることで後悔することも今後あるのでは」という知人の言葉を決め手として、次の春で教育総合センターを退職することにしました。

けれども私の実家の寺は俗にいう観光寺で収入面では安定していますが、心に迷いがある方が訪れるというようなこともありませんし、何となくですが観光者向けの法話と法要等がメインになる日常が、色あせたもののように感じています。臨床心理のことは生かせることも多いはずとは思いますし、仏に遣える身でありながらそういうことを心に抱えるのも如何なものかとは思うのですが、それでもどこか気持ちの中ですっきりしません…。

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回答

3件の回答

  1. aloalo 2017/06/01 17:44

    私も特に信仰を持たない一般の日本人ですが、仏教とカウンセリングって、重なり合うところも多いですよね!マインドフルネスだって、元々は仏教から来たんですよね?
    トピ主さんは家業を継ぐことで臨床心理士から外れることにマイナスイメージを抱いているみたいですが、お寺の住職ってみんなから尊敬されるし、すごいと思いますよ!ぜひ頑張って!

  2. margherita 2017/05/31 0:57

    遣り甲斐を感じていた臨床心理士の道から、家業を継ぐべく仏門の道に進まれるとのこと。確かに臨床心理士としてなさっていらっしゃったことは生かされることも多くあると思いますが、投稿者様にとってそれだけ生きがいを感じらっしゃっていた道からそれることになるのですから、今は心の中にわだかまりのようなものを感じていらっしゃるのも、無理はないのかもしれません。

    ただこれは知り合いのお寺の方から聞いたのですが、僧侶の方の中にも臨床宗教師という役割を持って、ホスピス等に出向かれていらっしゃる方もいるそうですね。
    人は死ぬときに、「死を超えた先の希望」を感じる事ができた時に、自らの死を穏やかに受け入れる事ができると聞きます。投稿者様もせっかく臨床心理士と僧侶という2つの肩書で生きて行かれるのですから、今後そういった活動に携わってみられるのは如何でしょうか?きっと、臨床心理士としてのアイデンてぃていと僧侶としてのアイデンティティが1つにつながるのではないかと思います。

    また、教誨師として少年院や拘置所に出向いている方もいると聞きました。僧侶の方も臨床心理士と同じようなフィールドに入られている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
    そう考えると、投稿者様は決して臨床心理士としての道を外れるわけでは無いのではないかと思います。もしも何かご縁があれば、お寺は週1回頻度くらいで家の人に任せてスクールカウンセラー等で外に出られることもあるかもしれませんよ。
    私は宗教的なことは一般的な日本人程しかわかりませんし釈迦に説法ですが、今あるご縁や状況等がどこでどうつながっているかはわかりません。どうか気持ちをできるだけ前向きに持って前進していって頂ければと思います。応援しています。

  3. nunikawa-5 2017/05/29 3:52

    お寺の子って、色々大変なんですね。お寺限らず家業がある家の子は皆そうなのかもしれませんが・・。またトピ主さんのプレイセラピーのエピソード、トピ主さんがいつもそういう大切なものをしっかりと見つめようという心が開かれているからこその受け取り方で、だからこそプレイセラピーの中でもそういう印象的なシーンが生まれてきたんだろうなと思います。

    そういう方が臨床心理士として活躍できなくなるのは不登校の子どもたちにとっても痛手ですよね。でも私には、「本当に大切なものは目に見えなくて、明るい所では石になってしまう」というのは、トピ主さんの住職としてのこれからの日常にも当てはまるんじゃないかと思います。

    トピ主さんはお寺の生活が色あせたものとおっしゃってましたよね?つまり臨床心理の面接は心のことをダイレクトに扱うから、心も動かされるしトピ主さんのような深い感性を持つ方には鮮やかに感じられるんです。しかしながら、色あせたように感じる住職としての日々だからこそ見えてくる心の宝というものも、あるんじゃないですか?
    宝物ってやっぱり目の前には落ちてなくて、森の奥の洞窟まで探しに行かないと得られないものだと思います。住職としての日々を重ねて行く中で、いつしか森の奥の洞窟で見つけられるものがあるんだと思いますよ~。

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